2013年9月11日水曜日

過去ブログからの転載:トルコ大好き!

Bloggerに引っ越す前はtumblrでブログを書いていました。
tumblrをカスタマイズして使っていたのですが、やはりBlogはBlogサービスを利用した方が使いやすいし、閲覧性に優れます。

それでBloggerにお引っ越ししたのですが、検索性の悪いtumblrのこと、過去に書いた日記が検索できなくなりそうです。
そのため、Bloggerに過去記事のお引越しをすることにしました。

以下の記事は、現在の記事ではなく、過去の記事となりますので悪しからずご了承ください。

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元記事:http://akihiro555.tumblr.com/post/60748388159

今朝ほど、投稿した「五輪決定後に感動を呼んだトルコからの祝福」

元記事を読んだ時は、トルコの潔さと友情に涙が出ました。

トルコは親日国であると言われています。親日国となった歴史を遡れば、エルトゥールル号遭難事件にまで遡るようです。
どのような事件だったのかは、リンク先のWikipediaでご確認下さい。


写真はイスタンブールです。

親日エピソードとして私が知っているのは、イラン・イラク戦争時の逸話です。
以下、Wikipediaより引用。

21世紀に入ってからはエルトゥールル号事件の顛末が、1985年昭和60年)のイラン・イラク戦争における逸話と絡めて、インターネット上の電子掲示板メールマガジンで紹介される機会が増えた。
当時、イラクサダム・フセインは、イラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言を行った。各国は期限までにイラン在住の国民をメヘラーバード国際空港から軍用機や旅客機で救出したものの、日本は自衛隊の海外派遣不可の原則のために、航空自衛隊機による救援が出来なかった。さらに、日本航空は「イランとイラクによる航行安全の保証がされない限り、テヘランのメヘラーバード国際空港行きへの臨時便は出さない」とし[6]、在イラン邦人はメヘラーバード国際空港の出発ロビーで、誰にも助けて貰えない危機的状況に陥った。野村豊イラン駐在大使が、トルコのビルレル駐在大使に窮状を訴えたところ、ビルレル大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも。」と答えた[7]大使の要請を受けたトルコ航空は自国民救援のための最終便を2機に増やし、機長オルハン・スヨルジュ(2013年2月24日死去)らがフライトを志願。215名の日本人はこれに分乗し、期限ぎりぎりで危機を脱することができた。全員、トルコ経由で無事に帰国できたのである。ちなみにトルコ機は、トルコがイラン近隣に位置することから、陸路での脱出もできる自国民よりも日本人の救出を優先。この救援機に乗れなかったトルコ人約500名は、陸路自動車でイランを脱出することとなった。
なお、2013年現在では自衛隊法が改正がされており、有事により在外邦人を国外に脱出させる必要が生じた時は、外務省在外公館を通じて、相手国の許可を得た上で、防衛大臣の指揮により、自衛隊の日本国政府専用機護衛艦によって在外邦人を輸送する。また自衛隊は在外邦人輸送訓練を毎年行っている。
この逸話は、特に2002年平成14年)のサッカー2002 FIFAワールドカップでのサッカートルコ代表チームの活躍を機として、盛んにテレビ番組雑誌でも取り上げられ、日本の一般の人々の間にも徐々に広められるようになった。2004年(平成16年)には、これらのことを紹介した児童書が小学生高学年向けの読書感想文コンクール課題図書[8]になり、現在では日本でも、「親日国トルコ」のイメージを語るエピソードとしてなくてはならないものとなった。
2006年(平成18年)、日本政府は、イランで救出に当たったトルコ人の客室乗務員など13人に勲章を授与し、感謝の気持ちを送った[9]
2007年(平成19年)10月28日、同時期に開催されたエルトゥールル号回顧展に併せて、東京都三鷹市の中近東文化センターでこの事件に関するシンポジウムが、当該トルコ航空機の元機長、元客室乗務員、野村元駐イラン日本国特命全権大使、森永元伊藤忠商事イスタンブル支店長、毛利悟元東京銀行テヘラン駐在員ら当時の関係者出席の上で開催されている。
この事件を知った時には、なぜ当時の日本政府やマスコミは国を上げて感謝しなかったのか、恩を返そうとしなかったのか、腹立たしく思いました。

いまの日本は、東日本大震災で台湾から受けた恩、オリンピック選考でのトルコからの祝福を国民が識ることが出来る状況にあって、良い状況に変わってきていると思います。

相手が遠く離れた国であろうと、小国であろうと受けた恩は返すのが人としての筋だろうと思います。


写真はカッパドキアです。

さて、話は変わりますが、トルコはサクランボの原産国としても有名です。
日本では山形県寒河江市がサクランボの産地として有名ですが、寒河江市はサクランボ繋がりで、トルコ共和国ギスレン市と姉妹都市になってます。

姉妹都市提携を記念してチェリーランドという道の駅に、トルコ館が建てられています。


写真はトルコ館内部。

私は妻が山形県出身で、寒河江を必ず通るのですが、里帰りする度に必ずトルコ館に寄ります。

トルコ館に足を踏み入れると、まるでトルコに行ったかのような錯覚に陥りますが、実際、トルコの技術者を呼んで建てたそうです。

ここでは色々なトルコの工芸品を買うことができますが、私のお気に入りはトルコのお守り、ナザーレボンジュウです。


青いガラスで目玉を模した物ですが、この目はメデューサの目を模しています。自分に対して邪な事を行おうと見つめてくる者や、降りかかる悪運をメデューサの邪眼で石にして無力化してしまおうというお守りです。

このトルコ館に行く度に、ナザーレボンジュウを購入しています。


この写真は妻から贈られたネックレスとペンダントヘッドに、2個のナザーレボンジュウを組み合わせたものです。このネックレスは常に肌身離さず着用していますので、魔除けになっているのではないかなと思います。

もう一つ。


これはトルコ館で購入したターコイズのブレスレットに、ナザーレボンジュウを組み合わせたものです。プライベートでお出かけする時は、必ず着用しています。

こんな風にファッションに簡単に組み入れらるので、ナザーレボンジュウを購入してお使いになってみてはいかがでしょう?
ナザーレボンジュウをキーワードにして、ググってみたら通販サイトがたくさんありました。

こんな些細な所から、国際交流を始めてみてはいかがでしょう?

そして、最後に。

トルコは世界大戦時に日本に対して宣戦布告しているから、親日国ではないという意見があります。

しかしその意見が的外れであることは、このリンク先を読めば明らかです。

受けた恩や示された友情を支えとし、今後も仲良く付き合っていける事を望みます。

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