2013年12月17日火曜日

幸せの形

先月、会社の研修を受けていると、突然、研修担当がそっと私のそばに寄って来て耳打ちしました。
「奥様から会社を経由して電話が入り、お嬢様が学校で倒れて病院に救急搬送されたとの事です。
 すぐ来て欲しいそうです。」
事態が理解出来ませんでしたが、研修会場を飛び出し、すぐに妻に電話してみましたが、妻も私に伝えた以上の情報は持っておらず、病院に向かっている最中だということでした。

すぐに自転車に飛び乗り、TTレース並みの勢いで都内を駆け抜けました。
何がどうなっているのか?無事なのか?
何の情報も無いまま、心臓もはち切れよとばかりに自転車を漕ぎ続けました。

病院について集中治療室に行くと、私より少し先に到着した妻と、学校の保健の先生、そして真っ青な顔をした娘がベッドで横になっていました。
良かった、生きていた。
真っ青な顔をしている娘と会話をした所、受け答えもしっかりしています。

病院の庭に咲いていたミニバラ

まずはホッと一安心です。
そして倒れた時の状況を、学校の保健の先生からお聞きしました。
学校の保健の先生が病院まで付き添ってくれて、ありがたかったです。
娘に一人で不安な想いをさせないですみました。
学校の保健の先生には後で報告する旨を伝え、お引取り頂きましたが、このように手厚い対応をしていただけるだけでも、私立中学に入れた甲斐がありました。

そうこうしていると、病院の医師から呼び出され、状況の説明を受けました。
医師いわく、倒れた時の状況からは原因がはっきりわからない。
ただし、CTの所見だと、難しい病気の可能性があると伝えられました。
もう少し詳しく検査してみないと、なんとも言えないと言われ、検査のため一週間は入院して下さいと言われました。

私も妻も入院などしたことがありません。
何が起きているのか、あまり把握できないまま、私が娘のそばに付き、妻が家に帰り、入院の準備をするために、一旦帰宅することにしました。

医師から言われた病気についてスマホで調べてみると、日本語版Wikipediaには掲載されていません。
あまりに症例が少なすぎて、難病指定もされていないようです。
海外のサイトでも学術論文のようなものしか見当たらなかったので、頑張って読解してみると…。
病院の途中に咲いていた花。水やりの直後で水滴が綺麗でした。

先天性の病気で、かなり重篤な病気です。先天性ということは私達のどちらか、あるいは両方に原因があります。
しかし読めば読むほど、娘の成長とは一致しません。
娘は身体も大きく、手先が器用です。運動は得意ではありませんが、普通にスポーツを楽しむことは出来ます。
頭は人並みかそれ以上です。
絶対、この病気ではないと思いました。

しかし、今回倒れたのは原因がわかりません。
娘には心配無いって事を確かめるために検査入院します。検査で忙しいかもしれないけど、パパもママも毎日来るから寂しくないよ。頑張ろうと言い含め、娘の入院が始まりました。

入院した日の翌日から、娘の検査が始まりました。
それこそ、全身に渡る徹底的な検査でした。
私達は仕事が終わると毎日、娘の病院に駆け付け、娘のケアに努めました。
今日の昼食


入院した日の翌々日の朝、空の娘の布団を見て、涙が溢れました。
今までも娘を一人で福岡の友人の所へ一週間旅行に行かせたり、スキー教室に行かせたりしたことはありました。
でも、今回は違います。
不安だし、娘がいないことが本当に寂しかった。

もし、その難しい病気だったらどうしようと妻と話していたのですが、妻が
「もしそうだったとしても、今日明日に死ぬわけじゃない。私達が娘を守り育てる事は今までと変わりがない。だから今までと同じだよ。」
と言いました。
私もそれもそうだと思い、この一言で腹を括りました。

入院してから一週間、取り敢えずの検査結果が揃い、医師から説明を受けました。
当初疑われた病気ではないでしょうとの事でした。
本当に安心しました。
ただし、検査結果の解析に膨大な時間がかかるため、今回結果が出ていない検査結果があるので、一ヶ月後に聞きに来て下さいと言われました。
そして今日がその検査結果を聞く日。

結果は異状無しでした。
倒れたのは過労だろうとのこと。確かに、娘はあの日の前日は勉強やらなにやらで寝不足でした。
そんな結果であっても、あれだけ検査した上の事なので、娘は心配無いとお墨付きをもらった思いです。

水やりでついた水滴が綺麗でした。

私の幸せの形は…。
家族が三人揃って、夕飯時に揃う事。家族が元気で穏やかに過ごせている事。
あの日、娘は朝、「行ってきます!」と言って家を出て、帰ってきませんでした。
まさか娘が倒れるなんて思いませんでした。

かなり昔にも思い知らされた事を、もう一度、思い知りました。
日常は平穏で退屈です。
でもその平穏や退屈が、どれほどの偶然の積み重ねの結果なのか。
今また思い知りました。

願わくば、死ぬまで平穏で退屈な日常に飽き飽きしながら死んでいきたいです。

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追記

そう言えば、もう一つ幸せな事がありました。
それは娘が他人に認められる存在であった事。
担任の先生から、娘が学校に復帰する事を説明された同級生から自然に拍手が湧き上がったそうです。
また、娘が登校してクラスに入った所、歓声が上がったそうです。

小学校時代は女子同士のいざこざに巻き込まれ、ぼっちだった娘ですが、本当に良かった。
これも娘が中学受験を頑張って、自分で勝ち得た結果の一つでしょう。

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